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読み物「蚕のお話し」5
古来より、人間の生活にとって、切り離すことの出来ない自然の宝物、蚕。
その蚕についての歴史、様々な逸話についておおくりします。



●蚕にまつわる伝説

「オシラサマ」

昔、ある所に父と娘が暮らしていました。二人は白い馬を飼っていました。娘はこの馬をとても可愛がり、夜になれば馬と共に寝、ついに馬と夫婦になりました。しかし怒った父親が娘に内緒でこの馬を桑の木に吊り下げて殺してしまいました。これを知った娘は深く嘆き悲しみ、桑の木の下に行き、死んだ馬の首にすがって泣きました。これをみた父親は斧で馬の首を切り落としてしまいました。すると娘は、馬の背にまたがり、空に昇っていってしまいました。父親がいくら呼んでも娘が戻ってくることはありませんでした。
父親は大層悲しみ、家にかえってからも泣き続けました。夜になり父親が寝ていると夢の中に、消えた娘が現れこう告げました。
 「春になったら臼の中に馬の頭の形をした虫 がいるので、その虫が出す糸を売って暮らして下さい。」
やがて春になり、父親が云われたとおりに臼の中を覗いてみると、馬の頭の形をした見慣れない虫がたくさんいました。父親は、早速その虫に、馬を殺した桑の木の葉を与えました。すると虫たちは立派な繭となり父親はそれを売って生計を立てるようになりました。それからというもの、娘と馬は養蚕の神様オシラサマとして今でも沢山の人々に祀られているということです。

「金色姫」

昔、雄略天皇の時代、天竺に旧仲国という国がありました。この国の王様はリンエ大王といい、金色姫という娘がいました。大王は、お妃が亡くなった為、新しいお妃を迎えましたが、このお妃はとても意地悪な人で、金色姫のことを憎みました。
意地悪なお妃は、大王の留守中に、家来に命じて、金色姫を獣の多い山へ捨てさせました。しかし、獣は姫を敬い、姫は一匹のライオンの背に乗って、宮殿へ帰ってきました。お妃は、益々姫を憎み、次は、鷹や鷲のたくさんいる山へ捨てさせましたが、たまたま鷹狩に来ていた兵士に姫は救われ、無事に宮殿へ帰りつくことが出来ました。お妃は、今度は姫を草木のない島へ流しましたが、今度も姫は釣りに来ていた人に助けられました。怒ったお妃は、大王の留守に、姫を宮殿の庭に、生き埋めにしました。お妃の残酷な仕打ちに驚いた大王は、姫の身の安全の為に、姫をよその国へ逃がすことにしました。大王は、桑の木のうつぼ舟をつくって、姫を乗せると、海へ舟を流しました。
姫を乗せた舟はやがて茨城県筑波の豊浦に漂着しました。姫は、流れ着いた舟を見つけた権太夫という漁師に助けられ、権太夫の家で暮らすようになりましたが、間もなくして死んでしまいました。権太夫とその女房は、姫を哀れに思い、姫の亡骸を大切にを棺に納めました。ある夜、姫が権太夫夫婦の夢に現れ、「私に食物をください。後で必ず恩を返します」といいます。棺を開けてみると、姫の亡骸はなく、かわりにたくさんの小さな虫たちがいました。夫婦は、姫が乗ってきたうつぼ舟が桑の木であったことから、桑の葉をとって虫に与えると、虫は喜んでこれを食べ、成長しました。ある時、この虫たちが桑の葉も食べずに、皆一様に頭をあげてワナワナと小刻みに震えています。権太夫夫婦が心配していると、再び姫が夢に現れ出で、「心配しないで下さい。私が天竺にいた時、意地悪な継母に様々な山へ捨てられたり、、また庭に生き埋めにされた苦しみの耐え難さに、今休んでいるところなのです」と云いました。そうしてそれから4度目の「庭(に埋められた時の苦しみの耐え難さへ)の休み」のあと、虫は繭を作りました。繭ができると、筑波山の神様が現われて、繭から糸をとることを教えました。これが、日本での養蚕のはじまりといわれています。その後、権太夫は、繭の生産で栄え、豊浦の船つき河岸に新しく御殿をたて、姫を祀って暮らしたということです。


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